lunes, 29 de junio de 2015

VI Premios ALCER Almeria Finalista de Relato corto

El pasado 25 de junio en el Museo de Almería se hizo la entrega de premios del VI Concurso de Poesía, Relato corto y Microrrelato de ALCER Almería Asociación que trabaja por la donación de órganos y los donantes. Mi relato "Sentimientos encontrados" resultó elegido Finalista.








Posando junto a los galardonados y al Delegado de Cultura de la Junta de Andalucía Alfredo Valdivia



Nos entregaron una talla de mármol y un diploma




Ecos en la prensa local y andaluza
http://www.lavozdealmeria.es/Noticias/85468/5/Alcer-entrega-los-premios-del-VI-concurso-literario-%E2%80%98Un-regalo-a-la-vida%E2%80%99


http://www.teleprensa.com/almeria/alcer-premia-a-los-ganadores-del-concurso-literario.html


sábado, 20 de junio de 2015

Relato EL PEQUEÑO DAVID traducido al japonés

Mi estimado  amigo Antonio Duque Lara, Profesor de Literatura Española en Japón y estudioso de la Literatura Japonesa, ha tenido a bien, pedirle a sus alumnos traducir el relato al japonés. Aquí comparto una copia del escrito y el oral del relato en japonés. Para mí todo un honor. Muchas gracias.


 El pequeño David en japonés. Traducido por Yoshiko Kasahara


小さなデービッド

 その子供は、少し前から路上にいます。読み書きはできませんが、それを誰かに頼むことは知ってます。気候のことは知りませんが、いつ雨が降るか、わかります。心理学は知らないけれど、人間については、よく知っていて、いつ誰が、彼に嘘をつくか、彼を傷つけようとするか見抜きます。

 身長はわずか1メートルくらいですが、すでに一人前です。父親のことは、まだ体中が痛いので、思い出したくありません。母親には、ずっと前から会っていません。母親が拘留されている刑務所の方へ行かないので。自分も閉じ込められ、彼の一番の幸せ、自由を失うのではないかと恐れています。

 私有財産のことは知りませんが、もう自分の区画地を選んでいて、この世に、自分の居場所があります。それは、自動車の入り口のすぐそばの片隅、建物の並びにある、曲がり角で、パン屋のすぐ近くにあります。狭い道があって、その道の奥に、丸い小さな広場のある、静かな居心地のよい、小さな地区に住んでいます。そこから道は、川のように街道へと広がっています。

 その地区の労働者たちは、少し前から、もう働いていなくて、木々から葉が落ちるのをただ眺めているだけで、どんどん年を取り、老いぼれていって・・・後には、無情にも、寒い、雪の降る、ほとんど日が差さない、冬が来るでしょう。そして、人々は、無事に月末を迎えるため、寒い思いをしないため、温かい食事をするために、やりくりをすることでしょう。

 一方、曲がり角の住人である、その子供は、近所の人とすれ違う時に、ナッツ類の殻を恵んでくださいとお願いしていました。ある日、その子は、広場の一番いい場所にあるベンチを独占している浮浪者と知り合いになりました。午前中、その浮浪者にだけ日が当たって、いつも温かくしていました。彼は、充実した人生を送っていましたが、誰かのせいで、仕事も家族も家も、すべてを失い、路上生活者となって、そのベンチが彼の避難場所で、段ボール箱で防寒していました。立札を持っていて、毎日、自分の前に置いていました。デービッドは、自分にも立札を作ってと彼に頼みました。「ナッツ類の殻が必要です。お願いします。」と書いてある立札を。デービッドは、毎日のように、近所の家々をまわって、戸口をノックしていましたが、ごくわずかな家だけが応じてくれるだけでした。しかも、デービッドは「何か食べる物」を恵んでくれるよう頼んでいるだけと思い込んで、ほとんどが、あまり注意を払わずに、ドアを閉めていました。デービッドは、人々と話をしました。、とりわけ、彼らが市場から戻ってくる時に話をすると、何かの果物とかパンのかけらを、ついでに彼に恵んでくれました。彼は、地区の住民であろうとなかろうと、すべての人々に、ナッツ類の殻をくださいと頼んでいました。連帯キャンペーンのために、ペットボトルのふたの提供を頼む人たちと同じように、デービッドは、食べ終わったナッツ類の殻を頼んでいました。「奥さん、殻を捨てる前に、この哀れな子供のことを思い出して、殻を取っておいてください。」と言いました。そして、軽業師のように飛び跳ねながら遠ざかっていきました。

 雨がぽつぽつ降るように、人々が近づいて立札の文字を読み、彼に、クルミやアーモンド、ピーナッツやピスタチオの殻を持って来るようになりました。デービッドは、殻の小山を作ってはハトロン紙に包んで保管しました。その紙は、たった5メートル離れたところにあるパン屋の太った女の人からもらって、手に入れてました。パン屋はとても近かったので、毎朝、空気を吸い込むだけで、オーブンで焼きあがったばかりのパンのにおいをかいで、おなかが満たされていました。そして、大きな丸パンを、自分にも分けてもらうことを期待しながら、パン屋の裏口へ急いで行くのでした。もちろん、彼の唯一の所持品が置いてある隅っこの場所を離れるときは、誰からも自分のナッツ類の殻を盗まれないように、目の端で見張っていました。殻には、とても気を付けていて、特に雨が降る時は、湿らないように注意していました。

 彼の住いの隣人、浮浪者は、好奇心がどんどん、つのってきて、もう聞きたくて我慢できなくなって、ある日、デービッドに尋ねました。「なぜ、ナッツ類の殻を頼むのかい?」「何のために欲しいのかい?」 子供は微笑みながら言いました。「おじさん、厳しい冬が来て、たき火をするときに、たき火にくべなきゃならないでしょう? おじさんはとっても大きいから、アリのようには、やらないの?」 その男は、恐怖にかられて、そしてまた途方にくれて、自分のコートに抱き付いて、考え込みました。そして、ちょっとしてから尋ねました。「アリは、どうするんだい?」 デービッドは、汚れた顔から前髪をかきあげながら答えました。「働いて、冬に備えるのさ。」 からかうような笑みを浮かべて、子供は言いました。「おじさんは、書く事はできても、人生については、何も知らないんだね。」 その男は、信じられず、その小さな子供から目を離すことができませんでした。少し前から二人が住んでいる通りの真ん中で、人生について、素晴らしい教訓をたれてくれた、その子供から。その子供は、彼に考えさせました。答えられなかった彼のために。その子は、着の身着のままで、彼と同じように、差し迫った冬が、今度は、それほど厳しくないように願っていました。

 

笠原 佳子 訳。 Yoshiko Kasahara

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その少年は路上で暮らしていた。
読み書きは知らない。でも、それは人に頼めばいい。
天気の知識などないが、雨が降りそうな時はわかる。
心理学だって知らないけれど、さまざまな人を見てきているから、誰かが彼のことを
とやかく言ったり意地悪をしようとしている時にはそれがわかる。

立つとせいぜい1メートルの彼にとってはそんな才能が全てだった。叩かれた記憶しかない父親のことなど思い出したくなかった。母親はといえば拘留中であり、会わなくなって久しい。自分も監禁されて、自由という価値あるものを失うのではないかと怯えていた。

個人の権利には縁がないものの、自分の居場所はもう決めて手に入れている。
建物の角に車の出入り口がある、その脇の隅。パン屋がすぐ近くだ。
この小さな空間は静かで居心地よく、さらに狭い道の先はロータリーになっているので、まるで川が本流に注ぎ込むかのように、道が開けて見えるのだ。

この界隈は労働者の町で、かつての働き者も今では木々から葉が落ちるのを眺めているだけ、どんどん古さと老いぼれは増すばかりだ。この先、無情にも寒い冬がやってきて雪が降り、日は陰り…そうなればこの人たちは月末まで生きながらえて寒さをしのぎ、そして暖かいものを口にしようと、やりくりを重ねていくことになる。

路上で暮らしながら、すれ違う近所の人たち皆にナッツの殻をねだっていた彼だったが、
ある日、午前中だけ日の当たる暖かいベンチをなわばりにしている浮浪者と知り合った。
かつては満ち足りた生活をしていたこの男は、誰のせいとも知らぬうちに仕事を、家族を、家を、全てを失っていた。そして路上住まいとなり、寒さをしのげるベンチでコート代わりの段ボールを敷いて生活していた。

この男は1枚のボードを持っていて、いつもそれを自分の前に置いていた。
デビッドは自分のために1枚ボードを作ってくれないかとねだった。「ナッツの殻を恵んでください」と書いて欲しいと。
デビッドはほぼ毎日このあたりの家の扉を叩いて回っているのだが、「何か食べ物を」という言葉を聞き入れてくれる家などほとんどなく、大抵にべもなく扉を閉めてしまう。
でも市場帰りの人に話しかけると、みな果物やパンのかけらを恵んでくれるのだ。
だからこの界隈の人だろうとなかろうと、必ず彼らにはナッツの殻をねだる。人が助け合いキャンペーンでプラスチックのフタを集めるみたいにデビッドは薄っぺらい殻を恵んでもらっていた。そして「貧しい子どものためにナッツの殻は捨てないで取っておいてね」と口にしつつ、まるでサーカス一座のように飛び跳ねながら去って行くのだ。
ぼちぼちと、ボードの文字を読んだ人がクルミやアーモンド、カシューナッツにピスタチオやらを持って来るようになった。やがてうずたかく積まれるようになったので、デビッドは5mほど先にあるパン屋にいる大柄なパン職人のおばさんに頼み、そこでせしめた油紙に、そのナッツを貯めていった。毎朝焼きたてのパンの香りだけで腹を満たした気になる、あるいは丸パン一個を求めて扉のウラに駆け寄っていたあのパン屋はこんなに近かったのだ。
当然のことながら、彼はその唯一の持ち物である「すみっこ」から離れるときには、この木の実の山を盗まれないように、雨が降ってもびしょ濡れにさせないようにちゃんと見張ってないとならなかった。

そんなふうにこの少年がうまくやったのを端で見て、路上生活の隣人であるあの浮浪者の男が声をかけてきた。自分は何も変わっちゃいないのに、やられたな、と思いながら。
「なぜ殻をもらってるんだ?」「好きだからか?」
少年は微笑みながら言った。
「おじさん、たき火をしていたって厳しい冬が来たら火に何かくべなくちゃならないだぜ?おじさんはおおきいのに、どうしてアリみたいに蓄えないのさ?」
不安と恐怖にかられたその男は、コートを抱えるようにして考え込んだ。やがて少しの間をおいて、尋ねた。
「アリって、何をしてるんだ?」
デビッドは汚れた小さな顔にかかった前髪をかき上げて返事をした。
「冬のために働いて蓄えるんだよ」
そしておどけたように微笑んで続けた。
「おじさんは字が書けるけど、生き方を知らないんだね」。
その男は思わぬ言葉を聞き、少年の小さな瞳に釘付けになった。人生の大きな教訓を与えた小さな少年。同じ月日を同じ路上で過ごしているのに。
男には答えの出ないことを考えさせた小さな少年…着の身着のままで生きている少年にとってもこの男にとっても、迫り来る冬が厳しいものでないことを願うばかりだ。


El pequeño David, traducción oral al japonés. Audio


PERFIL: ANTONIO DUQUE LARA
Lugar de nacimiento: Córdoba, España. (25 septiembre 1956)
Estudios:
Junio 1976: Graduado en Filosofía y Letras, Universidad de Córdoba.
Junio 1979: Licenciado en Filosofía y Letras, Sección Lingüística Románica
por la Universidad de Granada.
EN JAPÓN:
Enero 1982, llegada a Japón.
Febrero 1982-1984 estudios de japonés en Sendagaya Japanese Institute.
Febrero 1982 : Profesor de español y francés en Tozai Bunka Centre, hasta el
día de hoy.
Abril 1986-2010 Profesor de español en Universidad Municipal de Yokohama.
Abril 1987-2005 Profesor de español en Universidad Nacional de Fukushima.
Abril 1998---- Profesor de español en U. Economía de Tokyo. TKU.
Abril 2000---- Profesor de español en Escuela Idiomas de Keiogijuku.
Abril 2006--- Profesor de español en Keiogijuku Universidad.
Publicaciones: Ediciones privadas de libros de poemas: 44 poemas desde la otra orilla,
Palabritas de Amor, Poemillas y variantes, Serie: Fotopoemas.
Publicaciones variadas en revistas, periodicos, revistas universidad, internet .
Traducciones publicadas: Satoru Oshima.- Cristóbal, déjame que te cuente, serie Cartas de España y otros.
Traducciones no publicadas: Miyazawa Kenji:- Tren Nocturno de la Vía Láctea.
Tanizaki Junichiro: Elogio de la sombra etc.


domingo, 7 de junio de 2015

I Velorio Poético en la Taberna Generación del 27

El pasado sábado 6 de junio a las 21.00 hs tuvo lugar el Primer Velorio Poético en Almería.
Una noche excepcional! Un velorio magnífico! Hemos disfrutado como locos y queremos repetir! Ha sido maravilloso, el ambiente, la poesía, los poetas, la música, la gente que nos acompañó y la atención de la gente de la Taberna. En la Taberna Generación del 27, no imagino un sitio mejor, nos hemos sentido muy a gusto, entre amigos...
Las imágenes hablan por sí solas. Gracias por tanta magia a todos los que pusieron su granito de arena y a los que supieron brillar con luz propia. 
Fuimos al velorio pero la poesía no estaba muerta, estaba tomando cañas le re le re!!
La Taberna estaba al completo! 






Perfecto Herrera, leyó unos poemas durante el Homenaje a Jose´Angel Valente.

              El artista 
El invitado, el gran Pedro  Enriquez, nos deleitó con sus versos y su arte interpretando.

Todo un lujo disfrutar en primera línea junto a Mabel Ruiz, que puso magia con su guitarra.

Un honor compartir el escenario con el artista invitado. 
Un gran gesto de Pedro Enriquez, invitarme a leer con él, sus poemas esa noche.

Es maravilloso conocer y compartir una velada con artistas como Pedro Enriquez.

Alberto Fernandez se ofreció gentilmente a leer poemas. Mario Volpe, el napolitano, perdió el avión. Nos aco,pañaron, Charo Guarino, Glori Langle,  Mariangeles Ibernon y Maria Lago.





Leyendo mis poemas representando al grupo Poetas del Sur. Escuchando atentamente, Graciela Zárate, también miembro del grupo y presentadora de la velada.




Disfrutando y entregando lo mejor de mis letras y de mí.



Gloria Langle Molina interpretando sus poemas.



El duo Maybe nos acompañó con su dulce música! Ella canta en japonés también.