lunes, 29 de junio de 2015
VI Premios ALCER Almeria Finalista de Relato corto
sábado, 20 de junio de 2015
Relato EL PEQUEÑO DAVID traducido al japonés
Mi estimado amigo Antonio Duque Lara, Profesor de Literatura Española en Japón y estudioso de la Literatura Japonesa, ha tenido a bien, pedirle a sus alumnos traducir el relato al japonés. Aquí comparto una copia del escrito y el oral del relato en japonés. Para mí todo un honor. Muchas gracias.
小さなデービッド
その子供は、少し前から路上にいます。読み書きはできませんが、それを誰かに頼むことは知ってます。気候のことは知りませんが、いつ雨が降るか、わかります。心理学は知らないけれど、人間については、よく知っていて、いつ誰が、彼に嘘をつくか、彼を傷つけようとするか見抜きます。
身長はわずか1メートルくらいですが、すでに一人前です。父親のことは、まだ体中が痛いので、思い出したくありません。母親には、ずっと前から会っていません。母親が拘留されている刑務所の方へ行かないので。自分も閉じ込められ、彼の一番の幸せ、自由を失うのではないかと恐れています。
私有財産のことは知りませんが、もう自分の区画地を選んでいて、この世に、自分の居場所があります。それは、自動車の入り口のすぐそばの片隅、建物の並びにある、曲がり角で、パン屋のすぐ近くにあります。狭い道があって、その道の奥に、丸い小さな広場のある、静かな居心地のよい、小さな地区に住んでいます。そこから道は、川のように街道へと広がっています。
その地区の労働者たちは、少し前から、もう働いていなくて、木々から葉が落ちるのをただ眺めているだけで、どんどん年を取り、老いぼれていって・・・後には、無情にも、寒い、雪の降る、ほとんど日が差さない、冬が来るでしょう。そして、人々は、無事に月末を迎えるため、寒い思いをしないため、温かい食事をするために、やりくりをすることでしょう。
一方、曲がり角の住人である、その子供は、近所の人とすれ違う時に、ナッツ類の殻を恵んでくださいとお願いしていました。ある日、その子は、広場の一番いい場所にあるベンチを独占している浮浪者と知り合いになりました。午前中、その浮浪者にだけ日が当たって、いつも温かくしていました。彼は、充実した人生を送っていましたが、誰かのせいで、仕事も家族も家も、すべてを失い、路上生活者となって、そのベンチが彼の避難場所で、段ボール箱で防寒していました。立札を持っていて、毎日、自分の前に置いていました。デービッドは、自分にも立札を作ってと彼に頼みました。「ナッツ類の殻が必要です。お願いします。」と書いてある立札を。デービッドは、毎日のように、近所の家々をまわって、戸口をノックしていましたが、ごくわずかな家だけが応じてくれるだけでした。しかも、デービッドは「何か食べる物」を恵んでくれるよう頼んでいるだけと思い込んで、ほとんどが、あまり注意を払わずに、ドアを閉めていました。デービッドは、人々と話をしました。、とりわけ、彼らが市場から戻ってくる時に話をすると、何かの果物とかパンのかけらを、ついでに彼に恵んでくれました。彼は、地区の住民であろうとなかろうと、すべての人々に、ナッツ類の殻をくださいと頼んでいました。連帯キャンペーンのために、ペットボトルのふたの提供を頼む人たちと同じように、デービッドは、食べ終わったナッツ類の殻を頼んでいました。「奥さん、殻を捨てる前に、この哀れな子供のことを思い出して、殻を取っておいてください。」と言いました。そして、軽業師のように飛び跳ねながら遠ざかっていきました。
雨がぽつぽつ降るように、人々が近づいて立札の文字を読み、彼に、クルミやアーモンド、ピーナッツやピスタチオの殻を持って来るようになりました。デービッドは、殻の小山を作ってはハトロン紙に包んで保管しました。その紙は、たった5メートル離れたところにあるパン屋の太った女の人からもらって、手に入れてました。パン屋はとても近かったので、毎朝、空気を吸い込むだけで、オーブンで焼きあがったばかりのパンのにおいをかいで、おなかが満たされていました。そして、大きな丸パンを、自分にも分けてもらうことを期待しながら、パン屋の裏口へ急いで行くのでした。もちろん、彼の唯一の所持品が置いてある隅っこの場所を離れるときは、誰からも自分のナッツ類の殻を盗まれないように、目の端で見張っていました。殻には、とても気を付けていて、特に雨が降る時は、湿らないように注意していました。
彼の住いの隣人、浮浪者は、好奇心がどんどん、つのってきて、もう聞きたくて我慢できなくなって、ある日、デービッドに尋ねました。「なぜ、ナッツ類の殻を頼むのかい?」「何のために欲しいのかい?」 子供は微笑みながら言いました。「おじさん、厳しい冬が来て、たき火をするときに、たき火にくべなきゃならないでしょう? おじさんはとっても大きいから、アリのようには、やらないの?」 その男は、恐怖にかられて、そしてまた途方にくれて、自分のコートに抱き付いて、考え込みました。そして、ちょっとしてから尋ねました。「アリは、どうするんだい?」 デービッドは、汚れた顔から前髪をかきあげながら答えました。「働いて、冬に備えるのさ。」 からかうような笑みを浮かべて、子供は言いました。「おじさんは、書く事はできても、人生については、何も知らないんだね。」 その男は、信じられず、その小さな子供から目を離すことができませんでした。少し前から二人が住んでいる通りの真ん中で、人生について、素晴らしい教訓をたれてくれた、その子供から。その子供は、彼に考えさせました。答えられなかった彼のために。その子は、着の身着のままで、彼と同じように、差し迫った冬が、今度は、それほど厳しくないように願っていました。
笠原 佳子 訳。 Yoshiko Kasahara
PERFIL: ANTONIO DUQUE LARA
Lugar de nacimiento: Córdoba, España. (25 septiembre 1956)
Estudios:
Junio 1976: Graduado en Filosofía y Letras, Universidad de Córdoba.
Junio 1979: Licenciado en Filosofía y Letras, Sección Lingüística Románica
por la Universidad de Granada.
EN JAPÓN:
Enero 1982, llegada a Japón.
Febrero 1982-1984 estudios de japonés en Sendagaya Japanese Institute.
Febrero 1982 : Profesor de español y francés en Tozai Bunka Centre, hasta el
día de hoy.
Abril 1986-2010 Profesor de español en Universidad Municipal de Yokohama.
Abril 1987-2005 Profesor de español en Universidad Nacional de Fukushima.
Abril 1998---- Profesor de español en U. Economía de Tokyo. TKU.
Abril 2000---- Profesor de español en Escuela Idiomas de Keiogijuku.
Abril 2006--- Profesor de español en Keiogijuku Universidad.
Publicaciones: Ediciones privadas de libros de poemas: 44 poemas desde la otra orilla,
Palabritas de Amor, Poemillas y variantes, Serie: Fotopoemas.
Publicaciones variadas en revistas, periodicos, revistas universidad, internet .
Traducciones publicadas: Satoru Oshima.- Cristóbal, déjame que te cuente, serie Cartas de España y otros.
Traducciones no publicadas: Miyazawa Kenji:- Tren Nocturno de la Vía Láctea.
Tanizaki Junichiro: Elogio de la sombra etc.
domingo, 7 de junio de 2015
I Velorio Poético en la Taberna Generación del 27
Una noche excepcional! Un velorio magnífico! Hemos disfrutado como locos y queremos repetir! Ha sido maravilloso, el ambiente, la poesía, los poetas, la música, la gente que nos acompañó y la atención de la gente de la Taberna. En la Taberna Generación del 27, no imagino un sitio mejor, nos hemos sentido muy a gusto, entre amigos...
Las imágenes hablan por sí solas. Gracias por tanta magia a todos los que pusieron su granito de arena y a los que supieron brillar con luz propia.
Fuimos al velorio pero la poesía no estaba muerta, estaba tomando cañas le re le re!!